2014年12月6日
言論への暴力、言論の暴力(四)
ペンは剣よりも強し
今日は朝から出かけます。本稿はとりあえずの書き出しになります。
産經新聞は12月4日付記事で、“NYタイムズ 慰安婦報道携わった元記者「右派勢力、朝日新聞を攻撃」”と報じました。
“元記者は、安倍首相ら国家主義的な政治家たちが「脅迫的な手法で歴史を否定しようとしている」「(右派が)われわれをいじめて黙らせようとしている」などと述べ、朝日新聞や自身への攻撃は不当であると主張した。”
とあります。NYタイムズ紙の原文は[これ]であると思います。
12/5付読売新聞は、NYタイムズ紙が4日付社説で、“「日本における歴史の粉飾」と題し、安倍政権が行っているのは、歴史の修正を要求する勢力に迎合する「火遊び」だとして非難した。”と報じています。[NYタイムズ紙の原文]
この社説は、前々日掲載の植村隆元朝日新聞記者への取材をもとに書かれているのでしょう。政府は、世耕弘成官房副長官が5日の記者会見で直ちに反論しています。
それにしても、この植村隆という元朝日新聞記者は、何と卑怯、卑劣な男でしょうか。言いたいことがあれば、何故日本人の前で言わないのか。産經新聞はずっと取材を申し込んでいますが、植村氏は拒否しています。産經新聞に対して、なぜNYタイムズにしゃべったと同じことを言わないのか。産経を苦手とするなら、古巣の朝日新聞でも良い。「世界」でも「赤旗」でも良いでしょう。なぜ日本人に対して見解を述べないのか。
NYタイムズの今回の報道・社説は、それ自体「誤報」と思います。安倍首相・日本政府の立場は、世耕官房副長官の言葉通り、
“「日本政府が求めているのは正しい事実認識に基づき、国際社会から正当な評価を受けることだ。今後とも国際社会に発信を強化したい」と強調した。また朝日新聞の慰安婦報道取り消しに関し、「政権が朝日新聞や記者を攻撃しているという事実は全くない」と述べた。(毎日新聞)”
で間違いないと思います。人を思い切りぶん殴っておいた人間が、少し反撃されると「イジメられた」と泣く。直接相手に反攻するならまだしも、遠くの他人に、ありもしないことを言いふらす。かつて存分に言論暴力を振るった者が、その被害者たち(日本国民)の、誤解を解き、「正しい事実認識に基づき、国際社会から正当な評価を受け」ようとする言論を、自分や朝日新聞への「攻撃」であるという。それならばそれで、日本国内において声を上げれば良い。告訴しても良い。それを許さない日本社会ではないでしょう。日本政府や安倍首相が、どのように朝日新聞並びに自分を攻撃したのか、具体例を上げて反撃すれば良いのです。私の知る範囲では、そんなものは何もない。従って植村隆元朝日新聞記者のNYタイムズ記者への発言は、嘘と思います。嘘を糊塗するのに嘘をもってしているのです。そもそも問われているのは、「正しい事実認識に基づき」、植村隆記者が記事を書いたのか、ということです。その一点のみです。植村隆氏が語るべきは、語る責務があるのは、その一点のみです。
私は前回、「私は北星学園大学への脅迫者を強く非難します」と書きました。しかし、
「植村隆氏は、自らに向けられている多くの疑念に対して、誠実に答えなければならない。疑いに対して、真っ向からの反論でも良いし、言訳・釈明でも良い。しかしだんまりは許されない」。
そして、
「私は植村隆記事を発端とする慰安婦強制連行記事を、言論による[暴力]と思います。朝日新聞、植村記者を、犯罪者と思います。私の誤解ならば、それを解いて貰わなければならない。口を拭って、何くわぬ顔での“復帰”は、許されないと思います。」
(この稿、続きます)
(承前)2014.12.09
「ペンは剣よりも強し」
という言葉があります。私は齢70を過ぎるまで、この言葉の真意を理解していませんでした。この言葉の真意は、正に言葉とおりであるということでした。ペン(言論・報道)は剣(武力)に勝るということです。言論は、剣以上の武器であり、暴力装置である能力を潜在しているということです。まして(特に日本では)武器所有並びに行使は厳しく制限され、私有としてはほぼ不可能です。しかし報道は、「言論の自由」の御旗の下に自由に“ペン”を振るいます。被害者がその事実、真実を検証しようにも、「ニュースソースの秘匿」を盾にします。「報道の自由」と「ニュースソースの秘匿」を組み合わせると、言いたい放題の暴力装置となります。ステルス戦闘機です。
このことを私はこのサイトで度々語ってきたのでありますが、卓抜な質問と回答が、「ここ」にあります。
2014.12.11
昨日の新聞広告で、月刊文藝春秋一月号に、植村隆元朝日新聞記者の発言が載っているようです。本日早速それを読んで、その上で、この続きを書きたいと思います。(→141213へ)
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