2014年12月13日
言論への暴力、言論の暴力(五)
言論はどこで「暴力」になるのか

(12月16日、主旨は同じですが文章を整頓しました)
 

月刊「文藝春秋」2015年1月号掲載、元朝日新聞記者・植村隆氏の手記
『慰安婦問題「捏造記者」と呼ばれて』
を読みました。


植村元記者の本件についての国内での反論は、初めてのことと思います。遅れ馳せが過ぎるにしても、沈黙を通すよりは良かったと思います。

少し不思議な編集で、植村氏の本文が始まる前に“本誌編集部”の、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という“解説”があります。掲載に至るいきさつの説明ならよくあることですが、その内容が、植村氏の本文に対する、基本的な批判になっています。本文末尾に編集部としての見解を述べることは、批判である場合を含めて、普通にあることでしょう。しかし読者が内容を読む前にこのような見解を編集者が置くことは、読者に“予断”を与える意味において、私はフェアでないように感じます。植村氏が承知した上でのことかも知れませんが。

以下、植村氏の文章を、「植村反論」とします。上の画像は小さくて見えませんが、植村氏ご自身の言葉か、編集部のものか、「売国報道に反論する」と謳われているからです。

私には、事実関係に基づいて、系統的に、「植村反論」を論評することが出来ません。
それはいずれ、秦郁夫氏、西岡力氏、阿比留瑠比記者あたりから出て来るでしょうし、既に出尽くしているとも言えます。その意味で今回の「植村反論」は、「反論」になっていません。攻撃に対してちゃんとした反撃をしていません。


以下、私の勝手な論理による、「植村反論」を読んだ上での感想を記します。私の「言論」への見解は、要約して下の二点です。これについては、拙文(一)~(四)を、ご参照下さい。

  1. 言論は「武器よりも強い」武器である。
    料理包丁が凶器になり得ると同じく凶器になり得ること

  2. 言論人のモラルとは、何よりも、それを自覚するところにあること

今回の「慰安婦問題」は、私は、「轢き逃げ」「食害」「薬害」と、同じ論理で考えれば良いと思います。朝日新聞、朝日新聞を支援する勢力、そして植村隆元朝日新聞記者が、分かっていないのは、(おそらく、分かっていて分からぬフリをしているのは)、そのことです。

例え悪意でなくとも、人を“轢く”ことはあるでしょう。あるいは、「轢いた」ことそれ自体を、気付かない場合もあるでしょう。「過失」は誰にもあり得ることです。しかし気付いて、もしくは人に注意されて、なお知らんぷりをすれば、「過失」でなく「傷害」になります。事の「質」が変わるのです。その時点から過失でなく、意志ある行為になります。その意味で「植村反論」の核心は、次の言葉と思います。

私は本文では、この女性が「だまされて慰安婦にされた」と書いた。暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた。(p.459)

しかし、私は一度も金学順さんについて、「強制連行」とは書いていない。(p.475)

そして植村氏は、他紙は、「強制連行」もしくは同意の言葉を使った、と記し、(読売1991.12.06夕刊、日経同日夕刊、毎日1991.12.13朝刊、毎日1997.12.16金学順さん訃報記事、等を挙げています)、

不思議なことに「強制連行」と書いていない私が、強制連行があったように書いたとされ、「強制徴用(強制連行)」と明記した読売新聞などがバッシングする側に回っている。これはきわめて異常な事態だ。(p.475)


つまり植村氏は、1991年8月11日朝日新聞大阪本社版、同氏署名記事執筆時点で、“慰安婦”が、「暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた」のであり、「私は一度も金学順さんについて、“強制連行”とは書いていない」。どうして自分は責められるのか、異常な事態ではないか、というのです。

しかし、これが責められるのです。というよりも、正にこの一点が、「慰安婦問題」の本質であり、批判者が朝日新聞並びに植村隆氏を責めている急所なのです。

植村氏はこのようにも書いています。

私の慰安婦報道をめぐる一部メディアの非難は「文藝春秋」1992年4月号から始まった。それは、いつの間にか「捏造」とまでエスカレートした。だからこそ、反証のための手記をまず「文藝春秋」に寄せるべきだと考えた。
私は「捏造記者」ではない。
不当なバッシングに屈する訳にはいかない。
(p.482)


植村氏執筆記事は1991年8月11日に発表され、それに対する批判は1992年文藝春秋誌4月号(おそらく、西岡力氏『「慰安婦問題」とは何だったのか』を指していると思います)を嚆矢として始まったのです。“不当なバッシング”は、植村記事発信の7~8ヶ月後、現在までの22年を考えればほとんど直後といえる時期に、始まっているのです。「強制連行」の言葉を使わず、「強制連行ではない」と思っていた植村氏が、故なき批判の対象にされた。上記西岡論文は植村氏を「強制連行」と結びつけていませんが、その後(過程の詳細を私が知ることを出来ません)“報道陣”によって、自分が「強制連行」捏造の発信源のようにまで祭り上げられていく。22年。何故今まで、「反論」しなかったのですか。なぜ、「自分は“強制連行”があったとは認識していない、“強制連行”の言葉を使ったこともない」と言わなかったのですか。

早い時点であなたがそれを言っていれば、事態はまったく違った推移をしたでしょう。言わなかったことが「罪」なのです。繰り返しますが、それが問題の核心なのです。批判者は、“バッシング”しているのではありません。濡れ衣を晴らそうとしているのです。被害者は濡れ衣を着せられた日本人で、あなた方ではありません。分かりますか?

あなたにも朝日新聞にも、世間の“誤解”を修正する気がなかった。黙認以上に追認したのです。今のあなたに、それを「反論」に使う権利はないのです。使うべき時期に、使う義務のある時期に、あなたにはそれを使う気がなかった。批判者たちはそれを責めています。「反論」であれ何であれ、今回あなたが語らなければならなかったのは、その部分です。自分の言葉が意図した理解を人に与えないことはあるでしょう。自分の記事に不備があれば、検証の上それを正さなければならない。記事に不備なく読む側の誤解なら、再度説明しなければならない。それが報道に携わる者の良心であり、責務でしょう。22年間、何故そ知らぬフリをしたのか。それは、誤解され続けることが、実は朝日新聞やあなたの目的だったのではないか。そこを批判者は追及しているのです。「暴力的に拉致する類の強制連行ではないと認識していた」という今回のあなたの発言は、重大な「白状」です。

今回の朝日新聞の「お詫び」によって、慰安婦問題における「強制連行」の架空性がより明らかになりました。
今回の「慰安婦問題」は、「慰安婦」の問題でなく、「戦場における慰安婦」の問題でもありません。そこに、国家権力による「強制連行」が存在したか否か、ということです。国家権力による「強制連行」が、制度としてあったか否かということです。

「慰安婦の問題」「戦争と慰安婦の問題」、それが問題でない、というのではありません。それも問題であります。が、全くの「別問題」です。朝日新聞並びにその同調者は、故意にそれを混合させようとしています。範囲を広げることによって焦点をぼかす逃避手段です。ざっと見て、月刊誌「世界」や、「しんぶん赤旗」に、その傾向が見られます。

朝日新聞報道を中核として広がった「慰安婦問題」は、日韓双方にとって良いことは何もなく、両国々民を完璧に引き裂いたと思います。修復には数十年を必要とするでしょう。日韓の離反を喜ぶ勢力にとっては、完璧な効果を上げました。

言論は凶器である故に、振り回したら人を斬ります。その積りは無くとも斬る。意図なく斬る。認識なく、斬る。そんなことは言っていないと言っても、包丁人には、与えた影響に対しては責任があるのです。

植村元朝日新聞記者を批判している者(多くの日本人)は、自らの無実を証明せんと力を注いでいるのです。思いっきりバッシングされ、今も世界から叩かれ続けているのは、私たちの方です。

 

[註]
読売、産経は、自ら使った言葉について否定していません。どう対応したかも書いています。
読売新聞:]2014.08.06“朝日新聞「慰安婦報道」釈明文 検証”
産經新聞:2014.08.08“朝日新聞「慰安婦問題を考える」を検証する”

文藝春秋1992年4月号「西岡力」論文は、現在、以下で読むことが出来ます。
週間文春臨時増刊:「朝日新聞」は日本に必用か
文春新書:「従軍慰安婦」朝日新聞VS文藝春秋

 

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