2006/05/13記


第一出版社
柯蔡阿李夫人訪問記(二)

私が日本の近代史に興味を持ったのは、ここ十年ほどのことであります。
『台湾紀行』によって、戦前の日本を高く評価する外国人を知りました。それで初めてその辺りをもっと知りたいと思うようになりました。それまでは覗きたくなかったんですね。
もう一つは金正日の日本人拉致白状です。不気味に感じつつもまさかとも思っていたことが事実と確認され、私も血が逆巻きました。「日帝時代、日本人はもっともっとひどいことをしたではないか」というのが北朝鮮の言い分でした。日本のカトリック司教まで、

「共和国政府が独裁軍事政権であり、今の私たちには信じられない国であるかのように報道されています。確かに、そのとおりでしょう。しかし、戦前の日本も、今の共和国政府と同じだったのではないでしょうか。そのことを棚に上げて批判することができるでしょうか?私たち自身も過去を反省した上での批判でなければ、実りはもたらされないでしょう。」

という声明を出しました。(→関連資料
日本人は何をしたのか、私はそれを知りたいと思ったのです。
敗戦によって日本人が台湾から去り中国人が入ってきたとき、

戦後、台湾人は殖民地から解放された喜びに酔い痴れ、・・・・
(「台湾監獄島」p.1、以下特に記さない場合はすべて同書よりの引用)

台湾人は中国(国民党軍)を歓呼して迎えました。しかし、

清朝時代を体験している老人たちは、若い人たちが有頂天になって国民党の官吏と軍隊を歓迎しようとしているのを見て、「新的猶未来、不知旧的宝惜」(新しいものが来るまでは、古いもののよさがわからないものだ)と、意味深長なことを言っていた。

老人たちは日本文化に対して反発していたが、日本時代の治安のよさと官吏の廉潔なことに対しては評価していた。若い人たちは、「年寄りは時代遅れだ!」と、言って相手にしなかった。国民党の官吏と軍隊が台湾に来てから、若い人たちは老人たちの予言が不幸にして的中したことを悟ったが、時すでに遅かりし、であった。(p.58)

同じ日本の統治を体験した韓国・北朝鮮と台湾の、旧日本への評価の違いを、いつも考えています。一つは吾善花先生の分析で成程と納得しました。朝鮮は、

1.もともと日本を見下していた。侮日であった。

その見下していた相手の統治下に入ったのが、悔しい、何としてもハラの虫が治まらない、ということですね。未だにそれが消えず、朝鮮戦争で数十万人の犠牲者を出した中共政府には何の文句も言わないのです。
台湾にはそれがありませんでした。教育にしても日本が始めたのであり、台湾人は吸取紙のように吸収し勉強しました。台湾古老の話しを聞いても、日本政府は質の良い教師を派遣しました。それはしかし特別選んだというのではなく、当時先生は「聖職者」と認識され、その職を奉じる人は全体として、人としての質が高い人たちだったのだと思います。

日本時代には公学校でも中学でも、先生方は生徒たちに受験補修をしていたが、生徒から補修費をとるようなことはなかった。日本時代の教師は、けっして待遇が特別よかったわけではない。生徒から補修費をとると、補修は先生と生徒の間の取引になり、生徒は先生を尊敬しなくなる。台湾の教え子たちは今でも日本人の恩師を懐かしんで歓待する。昔の恩師が補修費をとらず、生徒のためにまじめに教えていた恩を忘れていないからである。(p.166)

もう一つが、
2.「新的猶未来、不知旧的宝惜」
(新しいものが来るまでは、古いもののよさがわからないものだ)と言うことだろうと思います。

台湾には比較するものがありました。日本に替って入ってきた“中国人”が、あまりにもヒドイ人々であったのです。日本の方が良かったと骨身に沁みて分かったのです。それが228の虐殺となり、“白色テロ”の時代へつながっていきます。日本教育を受けたインテリを中心に大量に殺され、投獄されました。1949年より1987年まで、実に38年間、戒厳令下にあったのです。人々は何で引っ張られるか分からず、李登輝先生ですらその当時を、「恐かった。安眠できなかった」とおっしゃいました(私は直接お聞きしました)。「司馬さんに(台湾紀行の中で)話したことも、自分の地位が固まって揺るぎないものになったと確認できたから話せた。そうでなければ話せなかった」と語られました。総統になりその立場が確立され、誰も手出しできぬことが確信できるまで、李登輝先生は雌伏されたのです。神はその役目を李先生に与えました。

韓国は戦後アメリカの軍政下に入ります。国民党に委ねられた台湾と異なります。
1948年8月に独立し李承晩氏の政権となりますが、二年後の50年6月25日、朝鮮戦争が勃発します。この民族は日本が残した多くの公的インフラ、生産設備を破壊し尽くしました。今もなお学校、庁舎、駅舎等を、大切に使っている台湾と違います。徹底した反日教育が行なわれたのは、金日成政権は言うに及ばず、李承晩政権も蒋介石政権も同じでした。しかし台湾には、学校で教わった日本の悪口を家で話すと、「そんなのは嘘っぱちだ」という親がいました(林建良氏の話し)。韓国はどうだったでしょうか。元々の「侮日」が、日本への弁護をさせなかったように想像するのです。日本の良いところを分かっていた韓国人が多勢いたことを私は知ったのですが。今もいるのですが。

そして北朝鮮のことを思います。多くの「日帝時代」を懐かしがった人たちがいたと確信します。しかし口にした者は殺されたでしょうし、沈黙を守った人もほとんど寿命を終えたでしょう。私はよく想像します、北朝鮮の人民に、そして北朝鮮を好きな日本の人々に、現在の北朝鮮と日帝時代の朝鮮を再現し比較して、どちらを選ぶかと。

私は最初の自己紹介に続いて蔡阿李夫人に話しました。
「私は台湾と日本がずっと一緒だったら、そのまま上手くいったかというと、実際にはそうはならなかっと思います。差別は必ずあるのです。それは内地と台湾というだけでなく、日本の中にもあります。日本人同士では単なる諍いにすぎないものが、民族が違えば民族問題になるでしょう。それを煽る人やグループが必ず出ますね。私はあのまま戦争がなく続いても、日台は、いつかは別れることになったと思います。台湾の方も、やってきた国民党政権が余りにひどかったので日本を見直した訳です。最初は中国人を歓迎した訳で、それが自然なことでしょう。
ただ、日中国交回復時、台湾と断交したことは信義にもとることであったと思います。恥ずかしいことでした。」

日本が戦争を始めず敗戦がなかったとしても、いずれ台湾独立運動は起こったと私は思います。そういうものでしょう。それを抑えるには相当の残虐さが必要ですが、日本人にはその資質がないと思います。日本人に欠けるのが民族としての冷酷さであり残虐さです。日本では228のようなものは起こらない。天安門も起こらない。そして228も天安門も同質のものです。60年アンポではデモ中に一人の少女が圧死したことで、岸内閣は退陣したのです。

それにしても、どうして彼らを殺さずに改悛の機会を与えることができないのだろう。日本は軍国主義時代でも、日共の党首に対してさえ死刑判決を下すようなことはなかった。高等教育を受けた有為な青年たちを簡単に殺すとは、何という残酷な政府だろう。(p.118)
夜の十時頃、私は階下の訊問室に連れて行かれた。訊問室の壁に張ってある、「寧可冤枉九十九人・也不可放過一個匪諜」(九十九人の冤罪者を出しても、共産党のスパイを一人たりとも逃すな)という標語を読んで、これはとんでもない奴らだと思った。(p.127)
1950年頃には死刑執行後、台北駅の玄関の壁に、政治死刑囚の罪状が書かれ、名前を赤インクで抹殺された布告が張られていた。ほとんど毎日のように死刑執行があり、一日で数十人銃殺されたこともあった。その後、国民党当局は宣伝上不利になると考えたのか、死刑執行の布告を出さないようになった。(p.203)

日本統治時代の台湾で、政治思想犯で七年以上の刑を受けた者はいない、とは黄文雄教授から私が聞いたことです。死刑者は皆無でした。
昨年、嘉義の旧刑務所を見学しました。取り壊されそうになったのを、保存を願う運動が実って、史跡として残ることになりました。外壁の上に有刺鉄線がぐるぐる巻きにしてあるのを案内の方は指さして、「日本時代にあんなものはなかった。国民党が作ったのだ」と言いました。私が記憶に残ったのは、中央看守机の後方頭上の「慈母観音」像でした。


仲間を「査問」中、死に至らしめた宮本顕治氏に対してすら、死刑にはしていません。日本で「政治思想」故に刑死した者が何人いるでしょうか。小林多喜二氏は拷問で死んだそうですが、ある意味、それが有名なほど、数少なかったのだと言えるでしょう。

本当の意味の「植民地支配」は、日本人にできないと思います。性格が優しすぎる。オランダ支配のインドネシア(蘭印)では食物よりもコーヒー豆を作らせたため、あの豊かな土地で餓死者が出たといいます。そのような苛烈さは日本人にない。教育をし衛生観念を育成した。他の列強が行なったことと、冷静に比較してみれば良いのです。

去ってみてその人の良さが分かる。
沿うてみるまでその人の質の悪さが分からない。
私たちは良いものを平気で捨て、悪いものに錯覚して魅力を感じる。
これからの台湾がどちらに進んでいくのか、ハラハラしながら見つめますが、人ごとでなく自分の国がどう進むのか、小泉総理の9月退陣を睨んで色んな動きが出てきました。「去ってみてその人の良さが分かる」ということは実感できるでしょう。願わくは、「沿うてみるまでその質の悪さが分からない」人を、後継者に選ばないで欲しい。

=続きます=

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