2015年6月8日
サンマリノ神社(4月28日)


6月5日の“NHKオンライン”によると、

安倍総理大臣は、羽田空港で記者団に対し、来年、日本で開催されるサミット=主要国首脳会議について、「G7のリーダーたちに、日本のふるさとの情景を肌で感じていただきたい」と述べ、三重県で開催し、「伊勢志摩サミット」とすることを表明しました。

とあります。そして、伊勢志摩を選んだ理由として、

伊勢神宮は悠久の歴史をつむいできた。そして、たくさんの日本人が訪れる場所であり、日本の精神性に触れてもらうには大変よい場所だ。ぜひG7のリーダーたちに訪れていただき、伊勢神宮の荘厳で凛とした空気を共有できればよいと思う。さらには大小の島々、美しい入り江、志摩には日本の原風景とも言える美しい自然がある。ぜひ日本のふるさとの情景をリーダーたちに肌で感じていただき、絶景をともに楽しみたい。

私はこの決定を、非常に嬉しいものとして受け取りました。

「神道」を宗教としてどう受け取るか、そもそも神道は「宗教」なのか、私には解説できません。空気は栄養素ではない、というしかありません。

平成12年(2000年)、カトリック山手教会で、ヨゼフ会(壮年男子の会)主催による『諸宗教との対話』という、月一度、数ヶ月に亘る勉強会がありました。6月に神道から、鎌倉・鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司さんを講師としてお招きしました。私はその時はじめて神道について筋だった話を聞いたのですが、

1. 神道には教祖がいない
2. 教義もない
3. いつ始まったかも分からない

ということでした。気にもしていなかったことで、おどろきました。
要は、何もない、のでした。


フランスの文学者、フランス国営文化放送プロデューサーであったオリヴィエ・ジェルマントマ氏は、その著『日本待望論』(産経新聞社)において、次のように述べています。

イスラム原理主義においても、先進諸国の唯物主義においても、自分と異質の思想はどこまでも排斥しようとするばかりなのです。では、排斥なく、ただあつむるのみといった日本人のお家芸は、どこからくるのかといえば、これこそは神道からくるものに他なりません。神道とは、普遍的世界の広がりの浄化を求めての、ドグマなき「信」だからです。(p.68)

ジェルマントマ氏はまた、同書別な場所で、神道を、「信仰宣言を要求しない唯一の宗教」と語っていたと思います。(今、当該ページを発見できません)

C・W・ニコル氏も、随分昔になりますが、熊野古道を扱ったNHKの番組で、神道を「世界でもっとも寛容な宗教」と語っていました。(私の記憶です。ひょっとすればDVD版で残されているかも知れません)

神道が世界平和のキーになり得るかも知れないということは、世界の知識人の間に萌芽として存在しているようです。ジョン・レノンも、その一人だったでしょう。

私が、ヨーロッパ人が神道の宮司をしていると初めて知ったのは、日本経済新聞2005年11月16日(水)文化欄の記事でした。『神道のこころ 欧州に響け』と題されたその記事は、日本の山蔭神道の凄まじい修行を経たポール・ド・レオ宮司の話でした。日経記事を含め、関連資料はここにあります。

日蘭親善斎宮


一般的な日本の各宗派、特に仏教徒は、神道の悪口を言いません。お坊さん自体がある意味神道信徒であるし、神社にはお墓がないので、宮司さんが死んだらお寺さんの墓地に入る、などということが平気な国です。ところが日本のカトリックは違いますね。政治家の靖国神社参拝には徹頭徹尾反対していますし、首相の新年の伊勢神宮参拝にも毎年「抗議」を続けています。私はそのことを間違いであると思いますが、何故間違いであるかは、別なそのテーマの場所で記します。但し、ローマの教皇庁は、日本の神道を決して敵視してはいないのです。

2014年1月10日 バチカンの枢機卿、神道に新年あいさつ
2015年カトリック教会から神道への新年のご挨拶


さて、
「サンマリノ共和国へ神社建立」の話を初めて知ったのは、日本会議機関誌『日本の息吹』2013年5月号に掲載された、在日サンマリノ共和国大使マンリオ・カデロ氏の文章でした。

世界最古の共和国から、世界最古の君主国の皆さんへ

その中で「日本サンマリノ友好記念チャリティ金貨」の販売されていることを知り、その収益が『サンマリノ神社』建立の基金になることを知って、早速申し込みました。

昨年6月22日にサンマリノ神社の鎮座奉祝祭が斉行されました。

神道の精神をヨーロッパへ-フランチェスコ・ブリガンテ宮司
サンマリノ神社建立成って-マンリオ・カデロ駐日大使


以上、前置きが随分長くなりましたが、以下、サンマリノ神社の訪問記を記します。
今回は私の最後のヨーロッパ旅行になると思います。それというのも、我が日本に、行ってみたい場所が回りきれぬほど残っているからです。国内はいつでも行けると思っているうちに、余命が見えてきました。今回もサンマリノ神社フランチェスコ・ブリガンテ宮司に「出羽三山」の話をされて、私は一山も知らないのでした。

今回は4月26日羽田発、ミュンヘン経由ヴェネチア着。5月4日ヴェネチア発、ミュンヘン経由5月5日羽田帰着。9泊(機中1泊)10日の旅でした。初日と最終日にヴェネチア各1泊。サンマリノ、アッシジ、フィレンツェ、各2泊、でした。


4月26日夕刻、ヴェネチア・マルコポーロ空港到着時は雨でした。


どうなることかと今回の旅に不安を抱きました。結果として雨はほぼ毎日降ったのですが、ほとんどすべてが、夜か車中、船中で、目的のサンマリノ神社参拝時も、霧雨に短時間傘を差した程度でした。参拝を終えた帰路から、濃い霧となりました。


4月27日、ヴェネチアからBologna経由、Riminiへ向かう途中の車窓。雨。


リミニ駅前よりサンマリノ行バス。
雨はあがり、空は青い。

リミニというのは非常に清潔な感じの町でした。今回の旅では何カ所か、列車の乗り継ぎがありました。中継に時間のかかる場合は駅周辺を歩いてみました。駅によって随分差のあることが分かりました。ある駅では少女の物乞いがいて、それを操る親方も確認しました。その男が素早く窃盗するのを私は見ましたが、人に告げる言葉を知りませんでした。リミニはそのような雰囲気のない、上品な町でした。


サンマリノ・第一(グアイタ)の塔


塔の前、広場より見た市街地。(イタリア領かも知れません)
画面の上の方は霞んでいるが、アドリア海でしょう。


夕刻ホテルに戻ると、雨になりました。ホテルの窓。



28日12時、投宿先へフランチェスコ・ブリガンテ宮司が私たちを迎えに来て下さいました。
下の写真は神社参拝前に案内された宮司の経営するホテル、フロントにてです。


参道。霧雨。
これは単独で来ることは不可能だったでしょう。事前に駐日サンマリノ大使館を通じてブリガンテ氏に連絡しておいて幸いでした。


鳥居


参道右側は大きな池、左側は葡萄畑です。
池の鳥がお社前へ来ています。


手水舎


灯籠



本殿



寄進者の銘板


私の名も刻まれていました。


日本の木造建築を観察に来た建築家。


鳥居を背にして、右は葡萄畑、


左は大きな池です。



神社というものが何故こうも、私の心を鎮めるのでしょうか。
子は子宮にあるとき、母の子宮の鼓動を聴いているといいます。その脈動が、胎児に安心を与えているといいます。
生まれ出た赤子は母の乳房を吸いつつ、母の胸につけた耳で、母の心臓の音を聴きます。それは子宮の鼓動に同じものです。
私にとって、(多くの日本人がそうであるように思いますが)、神社は母の子宮のようなものと思います。神社のお社に佇むと、そこに安らかな、深い、鼓動を感じるのです。安心し、落ちつくのです。それは「感性」であって、言葉(教義・戒律)ではありません。もっと優しく、深いものです。『真我』は、そこにあるように思います。


霧。
参拝を終えてホテル近くまで上ったとき、周囲は霧でした。(ここより上は車が困難。ホテルまで近く、ここでブリガンテ氏運転の車を下りました。




夕食は二夜ともホテルのレストランでとりました。
ヴェネチア到着の夜から私のパソコンが使えず、仕事上の連絡も取れなくて困っていました。それを、ここに写っている給仕長が、解決して呉れました。料理そのものもアドリア海の魚や海老をふんだんに使った、おいしいものでした。



4月29日朝の第二(チェスタ)の塔(と思う)



末尾ですが今回の素晴らしいサンマリノ神社参拝を実現して頂いた駐日サンマリノ大使館、並びにフランチェスコ・ブリガンテ宮司に、深く感謝申し上げます。



[ご参考]
フランチェスコ・ブリガンテさんのホテル
サンマリノ神社への行き方 (contact参照)
駐日サンマリノ共和国大使館
サンマリノ共和国地図(精細、約66Mb)




駐日サンマリノ共和国大使・マンリオ・カデロ氏著
『だから日本は世界から尊敬される』
小学館 2014年6月
 



オリヴィエ・ジェルマントマ 著
『日本待望論』
産経新聞社 1998年11月



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