2015年1月12日 1月15日追記 私は8日、大阪で上記のニュース、植村隆元朝日新聞記者による文藝春秋社並びに西岡力提訴を知りました。驚きました。 『文藝春秋』一月号に植村隆氏の、 これは西岡氏も当然そう思っていたようで、『正論』誌二月号『許せない 植村隆氏の弁明手記』で次のように書いています。 このことは私が前回の拙文で触れた疑問、植村氏の本文の前に文藝春秋が、「我々はなぜこの手記を掲載したのか」という編集部の説明を置いた理由、が推定できます。この説明文そのものが植村手記への本質的な否定になっています。この時点で文藝春秋側は、近い将来、植村氏と原告被告の関係になることを感じていたのではないかと思います。西岡氏へは意識して連絡しなかったのでしょう。「誌上」が議論の場になることを文藝春秋も望んだでしょうが、植村手記原稿を読んだ段階で、その希望を棄てたと思います。『文藝春秋』二月号には、見事に関連記事がありません。 『世界』二月号に、植村隆氏は、「私は闘う 不当なバッシングには屈しない」という、いわば「宣言文」を載せています。主旨は『文藝春秋』一月号の手記に同じと思いますが、受けた“バッシング”がより詳細に記され、今回の提訴に至る道筋も説明されています。 私は植村氏が受けた就職妨害、家族への嫌がらせ、学校への脅迫文等を、卑劣な行為と思います。正々堂々と名乗りを上げることなくこんなことをやるやつは、屑人間と思います。このような者の現れることをきわめて残念に思います。 しかし、1992年の西岡力論文、そしてそれ以降の西岡氏の一連の発言は、誠実なものであったと私は思います。植村氏はそれを22年間、無視してきました。 『世界』二月号で、植村氏は書いています。 拙文前回でも書きましたが、「強制連行ではない」と認識していた植村氏は、何故22年間、反論も説明もせず沈黙したのか。22年間は、「事実誤認」を「捏造」に熟成させるに足る、十分な時間です。沈黙によって行う「バッシング」があるのです。「私は闘う 不当なバッシングには屈しない」は、私たちもそう思っています。 思わぬ展開で、言論でなく法廷闘争になりました。ひょっとすればこれは、日本にとって良い結果をもたらすかも知れない。そんな予感を持ちます。 今朝の朝刊で『週刊文春』の広告を見ますと、植村隆元朝日新聞記者に関する記事は無さそうです。月刊『文藝春秋』二月号におけるそれと同じく、争いが法廷に持ち込まれた以上、法廷の場に限定して対応しようということだと推定します。もし私の推定が正しいなら、フェアな態度と思います。西岡力氏も今日の産経新聞「正論」欄で、「次になすべきは外務省の反論だ」と書いていますが、その中に植村隆氏の名はありません。これも正しい態度であると思います。『週刊新潮』の広告文では、植村氏側に“170人の巨大弁護団”という文言があります。これが事実とすれば私は色々と想像してしまいますが、実体はすべて自らが顕すでしょう。 |
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