林壽さん

剣橋大飯店より隆田駅まで、林壽さん が送って下さいました。30分くらいでしたか車中で、林さんは熱く「八田技師」について語って下さいました。いきなりきれいな日本語で、

「八田先生は理念の正しい人でした。」

と云われ、“理念”という言葉が、強く響きました。その事例として、殉工碑の刻銘のこと、関東大震災後の予算削減時、有能な者から解雇したこと、水の公平な分配の為、水稲、雑穀、 砂糖の輪番制を編み出したこと、これらは李登輝元総統の講演草稿にも述べられていることですが、林さんは詳しく話して下さいました。

「私たちは、八田先生の“遺徳”を偲んで、毎年、墓前祭を行っています。」

遺徳、という言葉も、近頃の日本ではあまり聞かれませんね。

外代樹夫人が投身したとき、和服にもんぺを付けていたことも聞きました。

(林さんは昭和5年生まれ、私より一回り上の午のはずです。若々しいのにびっくりしました。)

拝啓

 先日は隆田駅までお送り頂き、ありがとうございました。
 あの後、台中へ行き、二日間を過ごしました。八田先生の墓前祭では現地の方が長年、あのように先生の命日を祭って下さっているのを見、日本人の一人として有難いことと感激致しました。林さんから車中でお聞きした八田先生の「理念の正しさ」が、国籍を超えて人と人とを結びつけ、平和の礎となっているのだと思います。

1.人種、肩書きによって、人を区別しなかったこと。
2.関東大震災による予算の削減により人を減らさねばならなかったとき、有能な者から減らしたこと。
3.米、雑穀、砂糖の三年サイクルの輪作を三ブロックの組み合わせで実行したこと。

 実に素晴らしいお話しを伺いました。考えてみれば林さんは昭和5年で、午年ですね。私は17年の午です。そして八田先生がお亡くなりになった年に私が生まれ、林さんは12才だった訳ですね。
 墓前祭の時、お嬢様は「12歳だった」と確か、おっしゃっていました。ということは参列されたお嬢様は林さんと同い年になりますね。

 台湾と日本はますます仲良く、密接にならなければなりません。大陸中国承認と引き替えに、日本は台湾の皆様へ大変な不義理を致しました。偉大な李登輝元総統閣下を自由に日本へお迎えすることさえ出来ていません。日本は道義に欠けた国になりました。恥ずかしい限りです。

 来年は台東を中心に訪問したいと思います。
 林さんのご健勝と、貴国の益々のご発展を、お祈り致します。ありがとうございました。敬具

隆田駅

建物は日本時代のものだろうか?
八田技師も汽車を待っただろうか?

隆田駅より見る町並。静かで清潔な田舎町である。