殉工碑

New !  碑文解読

嘉南大圳の工事では十年間に百三十四人もの人が犠牲になりました。嘉南大圳完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。(李登輝元台湾総統の講演草稿より)

又、林壽さんは上に加えて、「役職に関係なく」と語りました。つまりこの殉工碑に刻された名は、生前の地位役職や出身地に関係なく並んでいるのです。「八田先生は理念の正しい人であった」と、林壽さんは熱く私に語りました。(林壽さん、参照)

嘉南大圳は其の利澤を蒙むる廣家の宏いなること其の水源に於ける工式の雄なるとに於て世界に冠たり 従って其工細且微にして施工上幾多の困難に逢せるも辛十年茲に工全く成る 諸子は斯る間に於て不慮の災厄に遭ひ或は風土の病疫に冒され空しく異郷の墳に眠る 轉に痛惜に堪へさるなり 然諸子は斎しく犠牲的殉工者にして一死克く従業員の志気を鼓舞し以て此大工を竣ふるを得たり 又偉なりと謂うふべし 噫○○の涼々たる曽文渓水は此蜿蜒たる長堤に蘊崇して長へに汪々たる碧潭を奉し随時の灌水は壤々○流して 盡きさる限り諸子の名も亦不朽なるへし 乃ち茲に地を卜し碑を建て以て諸子を傳ふるの文をなす矣

昭和五年三月
烏山頭交友会長
八田與一

(本文の脱字誤字、ご存じの方はお教え下さい。)

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2013年5月16日

台湾在住の日本人A氏よりご教示頂きました。(お名前、メールの文面などはご了解頂けるなら改めて記します)。
氏によると、碑文は下の通りです。


【原文】

嘉南大圳は其の利澤を蒙むる廣の宏いなること其の水源に於ける工式の雄なるとに於て世界に冠たり従って其工細且微にして施工上幾多の困難に逢せるも辛楚十年茲に工全く成る

諸子は斯る間に於て不慮の災厄に遭ひ或は風土の病疫に冒され空しく異郷の墳に眠る轉痛惜に堪へさるなり然諸子はしく犠牲的殉工者にして一死克く従業員の志舞し以て此大工を竣ふるを得たり又偉なりと謂ふへ

彼の々たる文渓水は此蜿蜒たる長堤に蘊崇して長へに汪々たる碧潭を奉し時の灌水は滾々環流して盡きさる限り諸子の名も亦不朽なるへし

 

乃ち茲に地を卜し碑を建て以て諸子を傳ふるの文をなす矣

昭和五年三月 

烏山頭交友會長 八田與一