墓前祭 2004.05.08

墓前祭の始まる前。
みんな台湾の方である。

お二人の尼僧の読経で始まった。清らかな声で、鈴の音が高く細く木々に沁みた。八田技師にゆかりの尼寺があるらしい。

地域の役員の方々。

八田技師のお嬢様とお孫さん。

=お嬢様のお話。(聞き取り故、不正確はお許し下さい)=

父が亡くなったのは5月8日とされておりますが、大洋丸は確かに5月8日に沈没したのですが、遺体のあがったのは6月の・・・10日でしたか、島根沖で漁船に拾われたんです。

私たちには、よもや、日本が負けたという感覚はありませんでした、台湾には空襲がありませんでしたから。
母に日本に帰る積もりのないことは、子供たちみんな、分かっていました。

朝起きたら母がいなく、これはダムだなとすぐ思いました。遺書らしきものを見た途端、放水口だと思いました。今の記念館の場所に草履が脱いであって、これはダメだと思いました。9月1日、台風が近づいていました。みんなが堰をを止めて下さって、下流で遺体があがったのです。

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子供たちにも納得のゆく母親の自殺だったようなのです。
お嬢様はお話しからすると三女くらいの方だと思います。正面からの写真も撮らせて頂きましたが、勝手な掲載はできません。ただ稀にみる美しい方で、母上・外代樹夫人を想像しました。