=教皇ヨハネ・パウロ二世葬儀、日本政府の判断=

添付資料 5
HN氏よりの反論

2005.04.20
ノムラカツヨシ

野村勝美様、

主の平和!

お便りするのは初めてですが、いつも楽しくHPを拝見しております。
当方、東京教区の一中年信者です。
さて、本日は、貴HPのエッセー「教皇ヨハネ・パウロ二世葬儀、日本政府の判断」について、やや気になる点がありましたので、お便りさせて頂きます。

次のblogで紹介されているところによれば、教皇様の葬儀での元首の着席順は、アルファベット順のようです。したがって、「小泉総理が参列したとしてもブッシュや、“ヴァチカンの長女”フランスから遠く離れた、川口順子補佐官と同じような場所しか与えられなかった」というのは、一般の方に誤解を与えるのではないでしょうか?http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/18493751.html

もし、信者順等で座席が割り振られるのであれば、外交上、著しく非礼であるだけではなく、イスラム教国のイランのハタミ大統領や、シリアのアサド大統領は、出席しなかったのではないかと思います。

ネット上で、多くの方が日本政府の措置に失望したのは、「教皇様に対し非礼である」というより、「日本政府に、政治的センスが無さ過ぎる」ということではないでしょうか。

川口前外相の派遣が外交慣例上の儀礼に反していないことは、野村様のおっしゃるとおりです。(また、皇太子殿下は、カテドラルでの葬儀ミサに出席されていますので、その誠意は十分バチカンには伝わっていると思います。)

しかし、教皇様の葬儀は、日本対バチカンの外交関係を越えて、日本の立場を世界に訴える上でも、最高の舞台である筈です。(外交上の相互主義を言うのであれば、ケネディ大統領の葬儀にヨハネ23世は参加していないので、ブッシュ大統領が葬儀に出席する必然性はありません。)

「自由の擁護」、「国際平和の達成」、「諸宗教間の和解」等に積極的に取り組んだヨハネ・パウロ二世の功績や、こうした価値観を大部分の日本人が共有していることを考えれば、日本がキリスト教国か否かにかかわらず、追悼のために皇族方や元首級の代表を送ることが望ましかったと思います。(これは、信者としてではなく、一日本国民としての発言です。)

元外務大臣とはいえ、国会議員でも現内閣のメンバーでも無い川口さんと面談してくれる首脳はいないでしょう(現に、相手にされなかったようです)。

外交とはそういうものです。また、海外のマスコミが川口さんの言動を報じたという例も聞きません。(全世界に中継されているTVに日本の代表が写ることが、政治的には、なにより重要です。)

先帝陛下も、「昭和天皇独白録」の中で、第二次大戦中、バチカンを通じた和平交渉を考慮していたと述べられています。

「開戦后法皇庁に初めて使節を派遣した、之は私の発意である。
私は嘗て「ローマ」訪問以来、法皇庁とは、どうしても、連絡をとらねばならぬと思つてゐた、日本移民の問題に付いても必要があるからである。・・・(中略)・・・。
開戦后、私は「ローマ」法皇庁と連絡がある事が、戦の終結時期に於て好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あるべきこと竝に「ローマ」法皇庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なること等を考へて、東条に公使派遣方を要望した次第である。
後では大使でもよかつたと云ふので、大使を送つて置けば良かつたと思ふ。
唯戦時中なので、内地から有能な者を選んで送る事が出来なかつたことゝ、日独同盟の関係上、「ヒトラー」と疎遠な関係にある法皇庁に対し、充分なる活動の出来なかつた事は残念なことであつた。」

国際政治に対する感覚の鋭さに改めて脱帽さざるを得ません。政府幹部も、少しは、先帝陛下のご事跡を学んでほしいと思います。

北朝鮮や中国は、弔問外交をしようにもバチカンとの国交自体がありません。
これらの無法国家の本質をさりげなく世界に示すにも格好の場にもなったと思います。

野村様は、カトリックの立場から、謙譲の美徳を発揮されたのだと思います。(そのお気持ちもよくわかります。)しかし、日本が本当に国際化していくためには、教皇様の葬儀に際し、どう行動すべきかについては、多様な意見があってもよく、その中でも、「小泉首相自ら出席すべきだった」という指摘(ほとんど、非カトリックの方からだと思いますが)には傾聴すべきものがあるではないでしょうか。

色々と勝手なことを書きました。乱文、どうぞお許し下さい。

新教皇様が選出されました。教義的にもしっかりした方のようで、一安心です。
新教皇様の上にも、主の豊かなご加護がありますように、祈りを込めて。

HN拝